私の利き手、もしかしたら。
どうも、ご無沙汰しています。
11月の更新からしばらく、はちみつ(ハニちゃん)が加わって生活がさらに賑やかになり、新年から5年日記を書き始めたり読書を再開したり、なかなか充実した毎日を過ごしていて、
私は元気です。
毎日何を食べたとか、仕事中に起きた良いこと悪いこと、2022年2月22日22時22分にスクリーンショットをおさめたとか、人に見せるようなものでもないほどの日常を5年日記にしたためて、1月から3月のまだたった数十頁の薄い束をぱらぱらとめくっては自己満足に浸っている。
ただ、どうしても5年日記の数行にはおさまりきらない「コロナワクチン接種後の副反応によって知らされた私の利き手」について記録すべく、久しぶりにプライベート用のノートパソコンを立ち上げている。
***
3月19日午後。私は3回目のコロナワクチンを接種した。
1回目2回目と同様のモデルナ。
ファイザーの方が副反応が少ないと言う人もいれば、副反応がある方がコロナにかかりにくいとか言う人もいる。正直どれも個人差があるのでは…と思っているのでファイザーだろうがモデルナだろうがどちらでも良い。
ありがたいことに職域接種で受けさせてもらえるということで、私は大の病院嫌いだからこういう機会に半ば無理やりにでも受けないときっと永遠にワクチンなんて受けないだろうし、思い切って予約をした。
もう半年以上前のことで、前回副反応がどの程度のものだったかあまり覚えていなかった。高熱は出た記憶があるがご飯も食べられたし、たしかしっかりビールも飲んだ。(よいこはまねしないでね!)
なんの根拠もないけれど、なんとなく3回目は大丈夫だろうという油断丸出し状態で会場に向かった。
余談、一応接種直前にはエナジーチャージのためにラーメン大盛りをたいらげてから挑んだ。
今回は職域接種の受付担当を頼まれてしまい、もちろんお断りすることもできず、でもそのおかげで苦手な注射への恐怖心が少し和らいでいたのは間違いない。ありがとう我が責任感。
受付は30分間与えられていたし、私は最後に接種するから心の準備をする時間もある。よし、モデルナよ。ばっちこい。
そんなこんなで始まった職域接種の受付。
みなさま、さすがです、早め早めの余裕をもった行動。
30分の受付、なんと3分で終了。
心の準備をする間もなく、自分の番があっという間にやってきてしまった。
金髪のなんとも怪しい先生の問診を受けた後は、恰幅の良い女性にぷすりと針を刺された。私は左利きなので右腕に打ってもらった。左利きだから。
そのあとは同僚と少しお茶をして豪雨の中、帰宅。
ワクチン接種から3時間後だった。
その夜、呑気にスーパードライの瓶ビールを嗜みながら(よいこはぜったいにまねしないでね!)旦那さんが用意してくれた豪華な夕飯をつまみながら元気にテレビを見て過ごしていた。
のだが。
鼻から出る息がなんとなく熱い気がする。
それから接種した右腕がずんずんと重く痛い。
徐々に目を開けているのもつらくなって、旦那さんをリビングに残してお先に寝室に向かった。
これが、ワクチン接種から9時間後のこと。
寝る前に検温したら、その時点で38℃をゆうに超えていて悪寒もしている。ここから熱がさらにあがると覚悟して、毛布3枚にくるまって寝た。
夜中、身体中の鈍痛により目が覚める。
寝返りを打とうにも、右腕、いや右半身が痛すぎて身動きが取れない。水が飲みたいけれど腕が伸ばせない。少しでも毛布をふわっと削ごうものなら途端に悪寒がして、無意識にうううぅぅ、と唸り声まで出てしまう。
それでもどうにか水を飲んで、念のため検温。
40.7℃
どひゃー。
成人してからこんなに高熱が出たのは初めてだ。40℃を超えてくるとさすがに意識も朦朧として、夢と現実を行ったり来たり。母と夕飯の買い物に出かけて、鍋に切り餅を入れる入れないで口論している夢を見ていたのを覚えている。
驚いたのは体温だけではない。
右腕を少し動かしてみると、ゴリッゴリッといやぁな感触とともに激痛が走る。わきの下のリンパがとてつもなく腫れているのがわかる。
這いつくばるようにしてキッチンまで行き、冷蔵庫から冷えピタをとってわきの下に貼ると、やわらかいジェルがクッションになって、いくらか楽になった。
3月20日。
夜中に何度も目が覚めた割に、朝はいつもと同じ時間に起床した。
それでも身体は悲鳴を上げていて、熱もまだまだ下がりそうにない。
左利きの私、いつものように日常生活を送ろうと、洗面所に向かう。
洗顔、右腕を顔の位置まであげるのはそこまで痛くない。
歯磨き、左手で磨くので問題なし。
しかしここからが問題だった。
お手洗いに行く。
用を足す。
拭く。
…拭けない。
なぜなら右腕を後ろに回すことが、上にあげるよりもうんと痛いのだ。
一晩貼り付けられた冷えピタはすでにかぴかぴに乾燥していてジェルがクッション代わりにもなっていない。摩擦で腫れあがったリンパと腕があたって痛い。痛すぎる。
ああぁぁあぁ!!と声を出してどうにか痛みを散らして、パジャマのズボンを上げる。
またそのズボンを上げる際の引く動作が痛いのなんのって。
いてぇのよ。
昼はミイラのように布団にもぐって、せめて気持ちだけでも楽しみたいと猫の動画を延々と見続けていた。
ようやく熱も37℃台に落ち着いてきて、夕飯は私のリクエストで宅配ピザを頼んだ。病み上がり(なんならまだ病み真っただ中)にもかかわらず、我ながらずいぶんジャンクなチョイスだと思った。
さすがにお酒は、なし。
何か月ぶりかの休肝日だ。
熱は落ち着いたものの、まだまだリンパの腫れがおさまらない。針を刺した場所よりも、わきの下の方が圧倒的痛み。
さすがに3日目ともなれば、痛みも消えるだろうと期待を込めて就寝。
3月21日。
イライラした気持ちで目が覚めた。初めてかもしれない。眉間にしわを寄せてイライラした状態で起きたのは。
痛いのだ。わきの下がとにかく痛いのだ。
午前中は動きたくもなくて、布団の中でスマホをいじりながらごろごろしていたが、このままでは廃人になる。
明日から仕事なんだ。そろそろ生活リズムを戻さなくては・・・
(ハァ、せっかくの三連休、療養で終わってしまった)
まずは体を起こして洗面所へ。
昨日同様、洗顔と歯磨きはセーフ。
お次は洗濯。
ネットに入れる作業、右手使用につき痛み伴う。
上部の棚から洗剤をとる作業、右手使用につき痛み伴う。
洗濯干し、ハンガーを竿に干す作業も右手使用につき痛み伴った。
相変わらずのお手洗い。
小だろうが大だろうがなんだろうが、我が家は座って左側にトイレットペーハーホルダーがあるもんだから、もういずれにしてもクロスの動作がリンパのゴリゴリを刺激して痛い。
いつもならスイスイ拭けるおしりも今日ばかりは何分かかったかわからない。
冷蔵庫をあけるのも、右手を使っていた。
スマホを使うのだって右だ。
ビールを注ぐのも、包丁だって、にゃんこたちのご飯が入っている扉を開くのも、なんだかんだ私は左利きと言いながら日常生活で右ばかりを使っていたのだ。
いなくなって気付く、たいせつさ。
なんてよくいうけれど、まさにその言葉の意味を知った。
使えなくなって知ったよ。
私が30年間、どれほど右手に支えられて生きてきたかということを。
でもちょっと面白い。
字を書くときは左。
お箸を持つ手も左。
歯ブラシも左。
歯ブラシに限っては右手で持つと顔まで一緒に動くという謎の現象が起きる。
ボールを投げるのは右。
蹴るのも右。
スマホを持つ手も右。
ジョッキを持つ手も、右。
そして、トイレットペーパーを操るのも、右。
ワクチンの副反応で改めて気付かされた利き手のこと。
私は、自信をもって「両利き」と言ってもいいのかもしれない。
ちなみに私の右脇では、まだまだ腫れあがったリンパが暴れている。
沖縄からやってきたハニちゃんの話。
30回目の誕生日。昨日のうちに誕生日らしいことは済ませた。
朝から髪をバッサリ切って、昼は美味しいお刺身定食を食べた。夜はもんじゃ焼きをして団欒の時間を満喫した。
おめでとう私。30代楽しむんだぞ私。仕事もプライベートも一生懸命やるといい。
今年の誕生日はかなり特別な日になる。高価なプレゼントよりも美味しいご飯よりも、もっともっと大事なこと。
そう、我が家に、ついに、
3匹目の保護猫ちゃんがやってくる!!
一ヶ月ほどの準備期間で、名前を決めてケージを買って、ご飯の器も揃えた(なぜか器だけまだ届いてない)
本日無事に我が家にやってきて、今はケージの中に設置した猫ベッドの中ですやすや寝ているので、その間に自己紹介ならぬ”ねこ紹介”を。
まだケージ内のおトイレでうんちをしていないから、部屋に出すことができず写真をゆっくり撮れない。かなりブレているけど悪しからず。
さび猫の女の子です。
名前は「はちみつ」あだ名は「ハニちゃん」「ハニー」と愛でてやってください。
うちの猫さんたちは、お兄ちゃんが迎えたこんぶから始まり、とろろ→つみれ(2020年に他界)→にぼし、と三文字に揃えて名付けてきたのだけど、初めての女の子ということもあり甘々でメロメロな箱入り娘なので字数にはこだわらず「はちみつ」としました。
偶然にも8月上旬に生まれたようなので、お誕生日も8月3日(はちみつの日)にしました。
通常の生後3か月の子に比べるとやはり少々成長が遅いように感じますが、今日体重を測ってみたらなんと1.9キロ!充分です!優秀優秀。
しっぽの先がポキッと鍵しっぽになっています。
まだちゃんと顔も見れていないし、抱っこも出来ていないから詳しい現在のハニちゃんの様子はまた今度。
ハニちゃんは、今年8月沖縄県の名護で保護してもらいました。当初は「名護2号」「ニコちゃん」と名付けられて育ててもらっていたそうです。(かわいいね)
猫風邪をひいていたため、まだ少し目が白濁としていますが、保護ボランティアさんの懸命な治療のおかげで以前よりだいぶ良くなったように見えます。
実はハニちゃん、捨て猫なんだそうです。
それも悲しいことに、ゴミとして捨てられていた子猫。
第一発見者の方が、息絶えている?まだ生きている?と市役所に連絡をしてくれて、そこから保護ボランティアの方がハニちゃんと兄弟猫を引き取ってくれました。
こんな惨い話、ニュースでは聞いたことがあったけれど本当にまだこんなことがあるんですね。信じられないや。
野良猫の子猫ならゴミ袋にいれて捨てるなんてことは普通しないから、おそらく飼い猫をきちんと避妊去勢せずに生まれてしまった子猫を捨てたのでしょうか。コロナ禍で生活費が苦しくなり飼い犬や飼い猫を放棄する人間がいるという話もニュースで見たけれど、本当にその考え、神経がまったく理解できない。
この子たちのような思いをして亡くなった命が世の中にたくさん存在するのだろうと思うと、怒りがおさまらないし、胸が苦しくてしかたないです。
でも、そんなハニちゃんは、猫風邪による目の治療のために入院手術を頑張って乗り越えて今ここにいます。遠く離れた沖縄から飛行機に乗って東京までやってきました。
ここから我が家に来たことで幸せであたたかい毎日が待っています。
住処がころころ変わってストレスも多いだろうから、まずはゆっくり休んでもらいたいですね。
さっき、寝起きでミャアミャア甘えた声で鳴いていたので、天井ネットの隙間から手を入れて撫でてあげたら早速すりすり顔と体を擦りつけてふみふみ始めました。
さらには私たちの指をくわえてチュパチュパ吸っています。
そうか、お母さんの愛情を知らないんだった。
必死に鳴く姿も、指に吸い付く姿も何もかも愛おしいけれど切ない。
我が家に来てくれてよかったと強く想いました。
この自信は、家族が一致団結してハニちゃんを迎える決断をしたことと、とろろとにぼしがすでにハニちゃんに敵意を示していないからダイジョブ!問題ない!
とろにぼ、さすがだわ。尊敬。
さあ、今日からさらに賑やかになるぞ~!
30代の幕開け、人生がさらに面白くなってきた。
最後に、
ハニちゃんの保護に携わったすべての方々。
沖縄で捨てられていたハニちゃん兄弟を、見捨てずに市役所へ連絡してくれた命の恩人さん。
猫風邪にかかって酷い状態だったハニちゃんを懸命な治療でここまで元気に育ててくれた沖縄のボランティア団体のみなさま。
ハニちゃんと兄弟を毎日楽しく元気に過ごさせてくれて、愛情をたくさん注いでくれたミルクボランティアのご家族のみなさま。
そして、にぼちゃんの時からお世話になっている三鷹123のみなさま。
私が猫の師と仰ぐ(勝手に(笑))、のてもの母さん。
今回は私たちのもとにハニちゃんの命を繋いでくれて本当にありがとうございます。
絶対に幸せにしますので、安心してください。
残されたハニちゃんの兄弟にも幸せな家族とのご縁が訪れますように。
家族を迎える
今月は1週目からずっと忙しない毎日が続いている。
5月に職場での立場が変わってから、どちらかというと不得意なマネジメントに関わるようになり奮闘している。そろそろ半年を迎えようとしているタイミングでイベント事が続き心と体があまり休まらず、同僚に相談するのが日課になっているが、
それでも仕事は楽しい。
仲間に恵まれている。
家族や友人は「あまり無理をしすぎないで」と言ってくれるけれど、時には少々の無理も必要だったりするので、今はその時だと感じている。この下半期を乗り切って成長できれば私の来年はきっと安泰だ。
全力疾走していた10月は祝日が存在しないのでゆっくり休めるのは土日のみ。お天気がいい日はうまいラーメンを求めて自転車で街を散策した。雨の日はバスに乗ってちょっと西の方まで行ってみたりした。
そのバスに乗って西の方に行ったときのこと。
気温がぐんと下がって、秋を飛び越し冬を感じるくらい冷えた日のことだった。
三鷹で保護猫の譲渡会をやっているのを知っていたので、気持ちは軽く見に行くつもりでなにかお手伝いできないかな、と私たちは会場へ向かった。この書き方だと譲渡会で保護猫を迎えることになったように聞こえるが、実はそうではなくて。
会場には15匹を超える保護猫たちが集まっている。
保護団体の方々は我が家のわんぱく王子”にぼし”を迎えたときからお世話になっている。
「今日も賑わっていますね~」
なんて声をかけて立ち話をしながら遠目で様子を見守っていた。生後2ヶ月の子猫から1歳半の成猫まで、オスメスまぜまぜとにかくたくさん。それでも狭いスペースに人間がうじゃうじゃ集まってあーだこーだ話をしていたら、声に驚いて猫ちゃんたちは怯えているようにも見えた。
三鷹市で保護された子、練馬区で保護された子、なんと沖縄で保護された子まで参加していた。ここの方達は沖縄にも拠点があるので、いつもこの3拠点の猫ちゃんたちが集められる。
その中に1匹、気になる子がいた。
さび柄の女の子。猫風邪をひいた影響で、片目が白かった。ケージの中でもう1匹のキジ白に寄り添われながらじっとしていた。みゃーと声を出すわけでもなく、動き回るわけでもない。どこか伏し目がちなようにも見えた。
元々その日は見に行ってみるだけ、というつもりだったから主人も私も即決はできず、これだけたくさんの人が集まっているのだから希望者がいるかもしれないと思って団体の方に話を聞いてみた。
そのさび猫ちゃんは沖縄に姉妹がいるそうで、姉妹一緒に迎えたいとおっしゃっている方がいるのだそう。おお、それは安心。ただ引き取り手がいるだけでなく姉妹揃ってだなんて、胸をなでおろすような気持ちだった。
ただどうしても、気になって気になって仕方がなくなって、「もし急遽引き取り手が保護できないなどあれば、すぐに連絡ください」とLINEを入れたということは、私自身さび猫ちゃんを引き取りたかった気持ちが実は強かったのかもしれない。
ところが、
数日経って、私の元に連絡が入り事態は急展開した。
引き取り手が決まっていたあのさび猫ちゃん、なんとまさかの一人っ子。
当日別の場所から来ていた保護猫ちゃんとセットで別のお宅に引き取られることになったとか。
ということは?
沖縄にいるさび猫ちゃんの姉妹といわれていた子は??
実はこの話、何人もの方が関与しているもんだから情報がちょいと錯綜してしまっていた。沖縄の保護主様、三鷹市の保護団体の方々、私との連絡の窓口になっている方など。仕方のないこと。
つまり、譲渡会に参加していた子、ではなく。
沖縄で暮らしているさび猫ちゃんはいかがですか?ということなのだ。
その子たちが今回の譲渡会に参加できなかった理由は、猫風邪の具合が悪くまだ治療中だったから。毎日数回の投薬をしなければならず、ワクチン接種も終わっていないことから外には出せないのだそう。
本来であれば多数の希望者の中から適正なご家族の元へいくような手順があるのだけれど、私は幸いにぼしを迎えた経緯もあり、本当にここの方々にはお世話になっているので、このお話をいただけたというわけ。ありがたいです。
検討するために沖縄で暮らす様子を写真や動画で送ってもらった。たしかに目が白く曇っていて100%元気ではなさそうだけど、子猫らしく一生懸命ふみふみしたり猫じゃらしで遊んだりしているのを見て、きっと我が家に来たらとろろとにぼしと駆け回って楽しく過ごしてくれるだろうと想像ができた。
はじめての3匹。
はじめての女の子。
そうと決まったら、私たちは毎晩とろろとにぼしに「女子がくるぞ」と説明して名前の候補を挙げていった。とろろは優しいしすでに2匹を迎えている経験があるので心配していない。
問題はにぼし。
にぼしは、毎朝6時45分になると「朝ご飯くれ!!くれよ!!!」と大声で鳴きながら顔の前で待ってる。夜8時も夜11時もそう。決められたご飯の時間になると主張してくる。その主張がまたすごいのなんのって。
さらには独占欲も強すぎるので、とろろを撫でているとさっきまですやすや寝ていたはずなのに無音で隣に現れる。夕方は主人の股間で休むのが日課なので「はよ仕事終わらせ!俺の時間!」とまた主張する。これ、嘘じゃなくて本当にアピールがすごい。
だからいくら女の子とはいえ、自分より年下の子が仲間入りしたときにどうなるのか楽しみでもあるし、心配でもある。
我が家には、猫も人間も同等に。というルールがある。
猫にしっかり教育するし、だめなものはだめ。
思いやりと譲り合いの精神は、猫も人間も一緒。
だから自慢じゃないが我が家の猫たちは、人間のような態度をするし話がちゃんと通じる。(親ばかかもしれないけどこれホント)
さび猫ちゃんが来るまでの間、私たちはしぶとく教育を続けるつもり。
女の子には優しく。
年下には優しく。
思いやりと譲り合い。
沖縄で治療を頑張っているさび猫ちゃんも、沖縄からの長旅だけでも相当な体力を使うだろうしストレスもあるだろう。どうか我が家にくる日は、家族の一員としてあたたかく迎え入れたいし、愛情をたっぷり与えてあげたい。
新しい家族は、猫である。
名前はまだない。
家電の買い替え
環境が変わると突然体調を崩したり疲れを感じやすくなったりするという。
それはおそらく人間だけでなく、犬とか猫とか鳥とか、さらには家電製品なんかにも同じことが言えるだろう。
実は今日、Blu-rayレコーダーを新調した。
引っ越してから数日、録画機能がいまいちうまくいかなくて少々イラつきながら機械音痴な私と主人はネットで故障の原因を調べたりだとか力尽くで何とかしようとした。(力尽くは絶対に良くないね)
修理に出すか、買い替えるか。
テレビの配線も繋げないような人間がどんなに時間をかけて考えたってレコーダーが直るわけはないのだから、潔く家電量販店に行って詳しいプロに相談することにした。ちなみに今回故障してしまったレコーダー、私が結婚するよりもうんと昔、主人がまだ20代前半だったころに買ったものなのだそう。つまりもう10年選手。下手したら12年経っているかも、とのこと。そのことを店員さんに伝えたら即答で修理に出すより新しいものを買うべきだと言った。
でしょうね(笑)
レコーダーの寿命は5~6年、テレビはだいたい10年なんだそうで。
じゅうぶん立派なレコーダー人生を全うしたのではないでしょうか。これまで何百という膨大な番組をレコードし続け、見られては消され見られては消されを繰り返していたのだからもう休ませてあげよう。
そういうわけで、4万円ほどでゲットできたよく知らないメーカーの新入りを(大手メーカーのレコーダーはどれも8~9万くらいしたよ、ビックリ!)我が家に迎え早速取り付けてみた。画質、機能、立ち上がりの速さ、なににおいても前のものよりずっと進化していた。ちょっと感動。
ただ、次はきっとテレビが故障する。時間の問題。
それに我が家の洗濯機と電子レンジは、私が一人暮らしを始めたときに知り合いから譲り受けたもので、すでに私が使い始めてから6年は経過している。今気になってそれぞれの製造年を見てみたら、洗濯機は2014年製、レンジはなんと2012年製だった。
2012・・・
2021・・・9・・・
テレビの次は電子レンジ、その次は洗濯機がリタイアしていくのだろうな。
変えたいときが買い替え時と言う人もいるけれど、私たちは使えなくなってしまったときが買い替え時。
これから終わりを迎えるであろう家電たちのために、”家電買い替え貯金”をしておかないといけないな。
そういえば、ここに引っ越してきてから環境の変化にやられて体調を崩してしまったのか、2年半前に買い替えたばかりの冷蔵庫が「ブゥーーーーーー」と騒音立てるようになった。
生きるってほんとうにお金がかかる。
がんばろう。
お引越し(完)
引越しから三週間。
家具の配置、日用品、家の匂い、生活習慣などなどようやく少しずつ身体に馴染んできた。
我が家の猫様達も、初日はまさに借りてきた猫状態だったけれど、一週間も経てば今までより広くなった部屋中を端から端までドタドタと駆け回っている。良いことだ。
寝室と居間が別。それだけでなんとなく違和感がある。これまで7〜8年はほぼ一部屋の空間で生きてきたから、寝るために別室に歩いていくことが新鮮だ。キッチンダイニングとリビングがきちんと分かれていることすらね。
朝起きて寝室からリビングに向かう途中で、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいるのも良い。
この家で過ごす生活すべてが良い。
あ、すべては嘘。お風呂場のシャワーの水圧が前の家に比べると半分くらいしかないのが残念だ。
でもそれくらい。
分散型の夏季休暇とシルバーウィークのおかげで、今月はプライベートでやらなきゃいけないことがスイスイ終わって気持ちはスッキリ。でも仕事がなかなか思うようにいかないことも時折ある。
お世話になっている同僚に「調子がいい時には出来ないことも、調子が悪い時だからこそ出来ることがある」的な内容のメッセージをもらった時は、背中を押されたような、手をやさしく握られたような、温かい気持ちになった。
自分の希望で住む場所を変えたとはいえ、環境は変わったんだ。そりゃ疲れもストレスも少しは溜まるさ。別に今月色々うまくいかなかったのは、私だけのせいじゃないさ。きっと良い方法はまだまだたくさんある。やるしかない。
と、言い聞かせている。
常に完璧を目指そうとするあまり、自分にプレッシャーをかけすぎる。
うまくいかなかったとき、周りの反応を気にして「もしかして信用無くした?」とか焦っちゃったり。失敗するのを恐れて完璧な準備をしようとしても、計画通りにいくことなんてなくて、【またできなかった】がどんどん自分の中に溜めちゃったり。
頭では正解をわかっていても、なかなかそう思うようにはいかないものね。性格や思考って変えるの難しい。
私には出来ることがまだまだある。
ひとつひとつ地道に成長し続ければいいよね。急成長なんて誰も望んでいないんだし。
今の環境にしっかりフィットした時、仕事もきっと、うまくいく。
お引越し(続)
5月末、ここへのお引っ越しについて書いてから、なんとまあ一度も更新せずここまできた。
3ヶ月間の見事な放置プレイ。予想はしてたけれど、ついお仕事に夢中になってしまって、日々の記録を残すことは後回しになっていた。
“引っ越し”をきっかけにして、ようやく更新ができる。
今日、私は住処を移す。とは言っても隣の区でたった数駅先だけど。たしか7月下旬、夫が関西出張へ出ている期間中、暇つぶしにと母と物件サイトを見ていた。その日たまたま相性のいい不動産会社の営業さんと出会い、彼女が提案してくれた複数の物件のうちのひとつが、これから移る新居なのだ。
とんとん拍子で契約まで進み、あっという間のお引越し。昨日仕事帰りに新居の鍵を受け取って、ラストスパートの荷造りをした。
段ボールだらけの部屋の中、どの扉を開けても空っぽ。白い壁が鏡に映り、こんなに部屋明るかったっけ、とぐるっと見回す。
この家は家賃がまあまあするわりに部屋が狭い。寝室より広い謎のロフトはほぼ使わなかったし、お手洗いだけ一丁前な機能がついていて、今思えば変なマンションだった。けれど、3メートル以上の高い天井も窓からの見晴らしも、地域の環境もお気に入り。
たった2年半でも、思い出がたくさん詰まった家だから、いざ出て行くとなるとちょっと寂しい。
とろろとにぼしも、ここ数日は何かを察しているのか、どこかそわそわしているように見える。大丈夫、みんな一緒だよ。
お皿も調理器具も片付けて、冷蔵庫のコンセントも抜いてしまったから、昨夜はモスバーガーと、それからコンビニでスーパードライを買って帰った。片付けがある程度目処たったから、この家での最後の晩餐。
こういうとき感動屋さんの私は、ここに越してきてからの思い出が頭の中でパッパっと流れる。BGMは小田和正の「たしかなこと」これお決まり。
この家にきて私は苗字が変わって、合わせて3匹の猫ちゃんを迎え家族が増えた。そのうち1匹を早くに亡くした頃は、毎日毎日泣いて、夫に噛み付く日々が続き、自分の気持ちをどうにもこうにもコントロールできず家族みんなを苦しめた。
それでも今の仕事との出会い(仕事というより職場の人との出会い)で「私」がかなり変わっていったように感じる。笑顔が増えて、社会に必要とされている実感が湧いた。
「人生って色々あるなあ」
これ、まじ。
島倉千代子のおっしゃる通りです。人生色々。
おそらく私たちは一生ヤドカリ家族なので、数年に一度、オリンピックのように住処を移していくのだろう。その度に数年間のできごとを振り返り、またこうして寂しくもワクワクするような複雑な気持ちになるのかもしれない。
そんなことより、引越しなのに
雨やん。
お引越し
この度、プラットフォームをお引越ししました。
これまでの場所では、現在の職場で働く前、のんびりと専業主婦をしていた約半年間とちょっとの日常を綴ってきました。
時間があったからこそ発見できた小さな幸せ。人との出会い。季節の変わり目をゆるりゆるりと感じながら趣味に没頭した毎日。
ゆっくりと過ごす生活を十二分に満足できたので、今度はまた、社会にでて自分の可能性を広げていこうと動き始めました。
今から一年と少し前のことです。
今私はその職場で、毎日刺激を感じながら、あの頃とはちがった生き方をしています。
毎朝決まった時間に目覚ましをかけて、毎朝同じルーティンで支度をし、毎朝同じ時間の電車に乗る。正直「暇だな」を考える暇もないくらい頭の中は常にやりたいことでいっぱい。数年前に比べたら、ずいぶんと前向きな人間になったもんだなぁと思ったりします。
そんな考え方を与えてくれたのは、今の職場環境なのかもしれません。働いているうちに、こう、今までの私がよくなかったとかではなくて、もっとこう在りたいなと望むようになっていきました。
今まではリアルの世界で生きる私の存在をなるべく伏せて文章を書いていましたが、それはそれ。
これからは、今の私が見た景色や感じたことを、今の私らしい文でしたためておきたい。そう感じたのがプラットフォームを引っ越す決断の一番の理由です。
とにかく、過去の私は押し入れに大事にしまっておいて、現在そして未来の私と向き合っていこうと思いました。
(これまで築いてきた人脈を切ろうとか、そういうことは全く思っていません。むしろ今の私を形成したのは、間違いなく前の場所で出会った人たちとの関わり、ご縁が大きく影響しているのですからね。感謝しかありません。そしてこれからもお付き合いは長く続けていきたいと願っています。)
それからもう一つ、プラットフォームを変えて文章を書き続けようと思ったのは、尊敬する上司からの「好きなことは続けるべきだ」という助言でした。
今私の人生は、フェーズ2に入りました。
30歳という節目を今年迎えるので、仕事においてもプライベートにおいてもきちんと判断していかなければなりません。
好きなことを続けるために、適した場所、適したやり方を選ばなければならないと思いました。
いつか誰かに良い影響を与えられるような話を、ここで少しずつ発信できたらいいな、そう考えています。
ということで、不定期の更新にはなりますが、通りすがった方は気が向いたら立ち止まっていってくださいませ。
今日もお疲れ様でした(^^)